宮家邦彦さんと言えば元外交官で、現在は評論家として活躍していますが、経歴や家系図が凄いと評判です。
そこで今回は、宮家邦彦さんの経歴や家系図・プロフィール、そして、嫁は北里柴三郎のひ孫なのか、子供や家族も調査しました。
宮家邦彦のプロフィール
年齢や出身地は?
名前:宮家邦彦(みやけ くにひこ)
生年月日:1953年10月12日
年齢:68歳
出身地:神奈川県
職業・肩書:元外交官・評論家・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
宮家邦彦さんは、神奈川県生まれの68歳です。
元外交官で、現在は評論家や研究者として活躍されています。
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹をはじめ、株式会社外交政策研究所代表、立命館大学客員教授、中東調査会顧問、内閣官房参与など重要ポストに就いています。
宮家さんの専門は、外交・安全保障です。
宮家邦彦の出身高校や大学・経歴は
出身高校・大学
宮家邦彦さんの出身中学高校は、栄光学園中学校・高等学校の中高一貫校です。
出身大学は、東京大学法学部です。
東京大学在学中の1976年~1977年に、アメリカ合衆国のミネソタ大学、国立台湾師範大学に留学しています。
東大法学部を卒業後は、外務省に入省しています。
主な経歴
宮家邦彦さんの主な経歴は、次のとおりです。
1978年:外務省に入省
1979年:カイロ・アメリカン大学留学
1981年:ジョージタウン大学留学
1986年:外務大臣秘書官
1996年:外務省中近東アフリカ局中近東第二課長
1998年:外務省北米局日米安全保障条約課長
2000年:在中華人民共和国日本国大使館公使・参事官
2004年:兼内閣官房内閣参事官
2005年: 外務省及び内閣官房を退官し、株式会社エー、オー、アイ代表取締役社長・AOI外交政策研究所代表に就任
2006年:立命館大学教育開発推進機構客員教授に就任
2009年:キヤノングローバル戦略研究所研究主幹に就任
2012年:首都高トールサービス東東京株式会社取締役
2014年:スバル興業株式会社取締役
2020年:内閣官房参与
主な著書
宮家邦彦氏の主な著書は次のとおりです。
- 『仕事の大事は5分で決まる』幻冬舎
- 『ハイブリッド外交官の仕事術 情報収集から大局観を構築するまで』PHP研究所
- 『語られざる中国の結末』PHP研究所
- 『哀しき半島国家 韓国の結末』PHP研究所
- 『日本の敵 よみがえる民族主義に備えよ』文藝春秋
- 『トランプ大統領とダークサイドの逆襲 宮家邦彦の国際深層リポート』
- 『「力の大真空」が世界史を変える 構図が変化し始めた国際情勢』PHP研究所
- 『劣化する民主主義』PHP研究所
宮家邦彦氏は、この他にも多くの著書や共著があります。
宮家邦彦の嫁や子供・家族は
子供は息子と娘!
宮家邦彦さんのご家族は、奥さんと息子さん・娘さんは分かっていますが、家族の人数までは把握できませんでした。
宮家さんの息子さんは、音楽家として活動しているようで、あるインタビューで「息子の追っかけをやっている」と話していました。
息子さんの音楽活動は、国内だけでなく、中国でもバンドのライブをしていることから、宮家さんは中国まで追っかけで見に行っているようですね。
バンドでは作曲も手掛けており、CDなどの販売もしていたそうです。
娘さんの方は、現在サンフランシスコに住んでいるそうで、すでに結婚し、お子さんもいるそうです。
宮家邦彦の家系図が凄い?
宮家邦彦さんの家系図がすごいといわれる所以は、宮家さんの祖父である「宋光彦」さんが、満州開拓団の団長をしていたからです。
宮家さんの「邦彦」の名前は、祖父である宋光彦さんの彦からつけられたそうです。
宮家邦彦の嫁は北里柴三郎のひ孫?
そして宮家さんの家系図で凄いのは、奥さんは北里柴三郎氏の曽孫(ひ孫)だということです。
北里柴三郎氏と言えば、「近代日本医学の父」として知られる微生物学者で、破傷風菌の血清療法を開発したり、ペスト菌を発見し、「感染症学の巨星」と呼ばれています。
そして孫には、明治製薬の最高顧問となった北里一郎氏もおり、宮家邦彦さんの奥さんの家系図もすごいですね!
宮家邦彦の経歴まとめ
今回は、宮家邦彦さんの経歴や家系図・プロフィール、そして、嫁は北里柴三郎のひ孫なのか、子供や家族も調査しました。
宮家邦彦さんは、神奈川県生まれの68歳。
栄光学園中学校・高等学校の中高一貫校から東京大学法学部に進み、留学後に外務省に入省しています。
外務大臣秘書官をはじめ、アフリカ局や北米局の要職を歴任し外交官として活躍されました。
2005年に退官後は、大学客員教授や各種の重要ポストに就いています。
今後も更なる活躍が見られそうですね。