俳優の西島秀俊さんは、ドラマ「真犯人フラグ」でも圧倒的な存在感で魅了していますが、若い頃に一時期干されたことがあるという。
そこで今回は、西島秀俊さんの若い頃に干された酷すぎる理由とは、5年間出禁ってどういうことなのか調べてみました。
西島秀俊のデビューはいつ?
西島秀俊さんは、1992年にTVドラマ「はぐれ刑事純情派5」でデビューを飾っています。
デビュー当時、西島さんは横浜国立大学に通う大学生でした。
父親と同じエンジニアンあるため、工学部生産工学科に籍を置いていました。
しかし、そのころ映画に夢中になり、東京アクターズスタジオに入所し、本格的に俳優の勉強を始めるようになりました。
俳優デビューをしたころ、大学も中退することにしたそうです。
その後、1993年の大ヒットドラマ「あすなろ白書」では、注目を浴びています。
そして、1994年には「居酒屋ゆうれい」で銀幕デビューしています。
1999年には、黒沢清監督の「ニンゲン合格」で映画初主演を果たします。
2002年の北野武監督の「Dolls(ドールズ)」でも主演を務め、着々とスターへの道を登っています。
その後は、NHK連続テレビ小説「純情きらり」や、TBS×WOWOW共同制作の「ダブルフェイス」などで、存在感抜群の演技を披露しています。
「MOZU」シリーズでは主演を務め、映画やドラマを問わず、人気俳優として広く活躍されています。
西島秀俊の若い頃に干された酷すぎる理由とは?
干された時期はいつ?
西島秀俊さんが干された時期は、1993年の大ヒットドラマ「あすなろ白書」で注目された後でした。
西島さんは、「あすなろ白書」で爽やかで可愛い姿に人気が集まり、所属事務所の渡辺プロダクションとしては、アイドル路線で売り出すことを考えていたようです。
しかし、西島さん本人は、アイドル路線で売り出すことに抵抗があり、納得がいかなかったようです。
その結果、事務所と対立することになり、渡辺プロダクションを退社することになってしまったという。
そして、退社することと引き換えに、「民放ドラマに5年間の出演禁止」という条件をのまされてしまったそうです。
5年間の「出禁」は酷すぎますよね~
西島秀俊は5年間出禁?
西島秀俊さんは、事務所との対立から、5年間の出禁をのむことになってしまいましたが、自分自身が求める作品に出たいという意志が強かったのでしょうね。
傍から見るといじめにも見えますね!
西島さんが芸能界に入ったのは、元々映画に傾倒したことで、自分の持っていた目標とズレがあったと感じたのでしょうね!
西島さんはこの時の心境を次の様に語っています。
「実は僕、この仕事を始めてから、俳優をやめようかなと思った時期があって……。すでにテレビの仕事は順調に入ってきてたんですけど、映画には出れなくて。このままだときっと映画には出れないんだって思い込んでしまったんです。
『あすなろ白書』という連ドラをやった直後に『ちょっと考えたいので、一回やめます』と言って、最初の事務所をやめているんです。
当時の僕には映画とテレビの俳優はまったく別で、はっきり分かれているように見えたんです」
引用元:exciteニュース
自分の信念を貫いたのですね!
さあこれからという時に、事務所を退社して、5年間の出禁ものむわけですから、すごく勇気がいる行動でしたね。
西島秀俊の若い頃に干された理由まとめ
今回は、西島秀俊さんの若い頃に干された酷すぎる理由とは、5年間出禁ってどういうことなのか調べてみました。
西島秀俊さんの若い頃に干された理由は、事務所が目指すアイドル路線と、自分が目標としている映画の世界というものに、ズレがあったからですね。
その結果、民放の出演を5年禁止されるなどの厳しい対応ものんだわけですね。
西島さんの人気は、容姿もさることながら、こういった一本気な男らしさがあるところでしょう。
今後も多くのドラマやテレビで活躍されることを、期待します!!