作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんは、波乱万丈の一生だったようですね。
若い頃は、旦那さんやお子さんがありながら、好きな人のもとに走ったり、不倫についても本人があっけらかんと話すなど、自由奔放の生き方をされてきたようです。
そこで今回は、瀬戸内寂聴さんの元夫や不倫相手は誰なのか、若い頃に娘を捨てた男性遍歴などを調査しました。
瀬戸内寂聴の生い立ちは
瀬戸内寂聴さんは、1922年徳島県徳島市で仏具店を営んでいる両親の元に生まれました。
瀬戸内さんは、生まれた時は「三谷晴美」さんといいましたが、瀬戸内さんが徳島高等女学校時代に父親が親戚と養子縁組をしたため「瀬戸内」の姓に変わりました。
小さい頃は、体が弱く、本を読むのが好きな子供だったそうです。
高校時代は陸上部に所属し、三種競技(競走・走高跳び・やり投げ)で活躍していたそうです。
今から見るとちょっと想像ができませんね!
活発な女の子だったのですね~
瀬戸内さんは、高等女学校卒業後は、東京女子大学に進学します。
大学に進学したのは1940年(昭和15年)で、当時女性が大学に進学することは非常に珍しかったようですね。
瀬戸内寂聴の元夫は酒井悌氏
瀬戸内さんは、東京女子大学に在学中の1942年(昭和17年)に、20歳という若さで夫となる、「酒井悌さん」と見合いして婚約します。
翌年21歳で結婚し、夫の勤務地の北京にわたります。
1944年に長女を出産し、終戦により親子3人で徳島に引き上げました。
終戦で親子3人の生活になりましたが、瀬戸内さんは、夫と結婚以来何一つ話らしい話をしていないことに気付いたという。
日常生活の話はあったそうですが、本当の会話はなかったと当時を振り返っていました。
その後、瀬戸内寂聴さんは、旦那さんの教え子と恋愛関係になりました。
瀬戸内寂聴の不倫相手は誰
1人目の不倫相手(夫の教え子の文学青年)
瀬戸内寂聴さんの1人目の不倫相手は、夫の教え子だった21歳の文学青年です。
瀬戸内寂聴さんは、不倫をした理由について、「夫が頼りなく感じた」と語っています。
この時、夫は34歳で瀬戸内さんは25歳でした。
敗戦で日本にやってきた瀬戸内寂聴さん一家でしたが、瀬戸内寂聴さんはうまくいかないことが多く、夫が頼りなく見えてしまったようですね!
そして瀬戸内さんは、自分の罪の意識に耐えられなくなり、自ら夫に不倫していることを告白します。
当たり前のことですが、夫は激高し、瀬戸内さんを連れて当時住んでいた大阪から東京へ引っ越しました。
不倫相手である教え子と引き離したのです。
しかし、引き離したことが、かえって不倫相手への恋心を燃え上がらせることになりました。
とうとう、瀬戸内さんは3歳の娘を捨て、不倫相手と共に京都へ駆け落ちしてしまいます。
この時のことを瀬戸内さんは、自分に経済力があれば、子供と一緒にいられたと後悔しています。
家を出る時、夫から暴力も振るわれたという。
しかし瀬戸内さんは、覚悟を持って文学青年のところへ行きました。
でも、不倫相手の文学青年にとっては、21歳という年齢からか、瀬戸内さんの思いは重すぎて関係は長くは続かなかったようです。
それから3年後の瀬戸内さん28歳の時に、夫と正式に離婚しました。
2人目の不倫相手(妻子持ちの作家:小田仁二朗)
正式に夫と離婚が成立し、独身となった瀬戸内さんは、1951年に再び上京し、ペンネームを「三谷晴美」として、本格的に小説を書き始めます。
その翌年、2人目の不倫相手となったのは、先輩であった妻子持ちの作家・小田仁二郎さんです。
小田仁さんとは、自分の原稿を見てもらったのがきっかけで、親しくなっていったようです。
小田仁さんは、後に「作家・瀬戸内寂聴」の師匠として知られることになりました。
瀬戸内さんは小田仁二郎さんに妻子がいたことは知っていましたが、小田仁さんの妻の座に座ろうという気にはならなかったそうです。
小田仁さんは、貧乏作家だったようで、2人が出会って旅行に出かけたときは、みじめな旅行だったと回想しています。
また、小田仁二郎さんとの不倫関係の間に、1人目の不倫相手の文学青年とも再会してしまいます。
かつて恋仲であった文学青年は、昔とは別人のようで、生気がない男性になっていました。
瀬戸内寂聴さんは、そんな文学青年を放っておけず、また、関係を持つようになってしまいました。
いわゆる三角関係ですね~
瀬戸内寂聴さんの出世作である「夏の終わり」は、1963年女流文学賞を受賞し、小田仁二朗さんと文学青年との三角関係についても書かれています。
3人目の不倫相手(妻子持ちの小説家:井上光晴)
瀬戸内寂聴さんの3人目の不倫相手は、妻子持ちの小説家「井上光晴」さんです。
瀬戸内さんと井上さんは、1966年高松へ講演旅行の際に、親しい間柄になりました。
それから7年間、2人は不倫関係を続けます。
瀬戸内寂聴さんは、井上さんとの関係を終わらせるため、1973年に僧侶となることを決心します。
すると井上さんは、「そういう手もあるな」とほっとした表情を見せ、瀬戸内さんもそれしかないと思ったそうです。
瀬戸内寂聴さんと井上光晴さんの関係は、瀬戸内さんが出家して以降も、井上さんが亡くなるまで形を変えて交際は続いていたようです。
瀬戸内さんは井上さんが亡くなった後も、井上さんの奥さんと仲良くしていたそうです。
とても信じられないような光景ですが、本当に人を好きになるということは、その人が好きなものすべてが好きになるようですね!
瀬戸内寂聴の子供の現在
瀬戸内寂聴さんが、1人目の文学青年との不倫で残してきた子供は、当時3歳でした。
娘を一緒に連れていけなかったのは、瀬戸内さんの経済的な理由からだったそうです。
このことについては、瀬戸内さんも長い間、後悔の念に苛まれていたようです。
瀬戸内さんの元夫は、娘さんに「お母さんは死んだ」と伝えて育てていたようです。
娘が傷つかないよう、考えた末のことでしょうね。
娘さんは、自身が結婚する時に母親である瀬戸内寂聴さんから、嫁入り道具一式が届いたと言います。
しかし、自分を置いて出ていった母親からの贈り物は、今更ということですべて送り返したそうです。
現在は瀬戸内寂聴さんと娘さんは和解しています。
瀬戸内寂聴さんの娘さんの名前は廸子(みちこ)さんと言い、現在77歳になるようです。
廸子(みちこ)さんは、現在アメリカに住んでいるという情報があり、帰国すると瀬戸内寂聴さんに会っているそうです。
長い間後悔の念に苛まれていた分、子供との和解は、瀬戸内寂聴さんにとっては何より嬉しかったでしょうね。

みんなの声は
瀬戸内寂聴の元夫や不倫相手まとめ
今回は、瀬戸内寂聴さんの元夫や不倫相手は誰なのか、若い頃に娘を捨てた男性遍歴などを調査しました。
瀬戸内寂聴さんの元旦那さんは酒井悌さんです。
瀬戸内寂聴さんは、大学在学中の20歳の時に酒井悌さんと婚約し、翌年結婚します。
結婚生活も夫とは、話らしい話をしていないことに気が付き、ほどなくして夫の教え子である文学青年と恋愛関係になり、子供を残して家を飛び出します。
瀬戸内寂聴さんの1人目の不倫相手でした。
その後、自分の罪の意識に耐えられなくなり、自ら夫に不倫していることを告白しますが、夫は激高し、2人を引き離すも、恋は燃え上がってしまいます。
2人目の不倫、3人目の不倫とまさに恋多き瀬戸内さんの人生だったようです。
瀬戸内寂聴さんの出世作である「夏の終わり」は、自身の不倫体験や三角関係について書かれており、1963年女流文学賞を受賞する作品となっています。
不倫は、今でこそ処分や自粛の対象となっていますが、堂々と公言する瀬戸内さんの人柄に、かえって潔さを感じてしまいますね。
見事なまでの大往生でした、心からご冥福をお祈りいたします。