スピードスケートの押切美沙紀選手は、北京五輪の日本代表選手として出場することが決まりましたね。
押切選手の家族も喜んでいるでしょうね!
そこで今回は、押切美沙紀選手の妹はラグビー選手って本当なのか、両親や兄弟の家族構成や出身高校なども調査しました。
押切美沙紀のプロフィール
名前:押切美沙紀(おしぎり みさき)
生年月日:1992年9月29日
年齢:29歳
出身地:北海道中札内村
身長:168cm
体重:60kg
所属:富士急行
押切美沙紀さんは、北海道中札内村生まれの29歳です。
スピードスケートの髙木菜那選手とは、同学年で出身地も近く、小学校時代からお互いに切磋琢磨するライバル関係を築いていたという。
中札内中学校では、全国中学校大会に出場し、優勝を果たしています。
押切美沙紀の出身高校・大学・所属先
高校時代
押切美沙紀さんの出身高校は、駒澤大学附属苫小牧高等学校です。
2010年の2年生の時には、インターハイ500mで優勝しています。
さらに、「世界ジュニアスピードスケート選手権大会」では、高木菜那選手・美帆選手とともに、チームパシュートで銀メダルを獲得しています。
翌年3年生の時には、「インターハイ」で500mと1000mの2冠を達成し、さらに「全日本ジュニアスピードスケート選手権大会」でも総合優勝を果たすなど、素晴らしい成績を残しています。
所属は富士急行
押切美沙紀さんは、高校卒業後は大学には進学せず、富士急行に所属しています。
富士急行では、パワー任せで走るだけのフォームから、3000mにも取り組むことで、オールラウンダーを目指すようになったという。
社会人2年目には、ジャパンカップスピードスケート競技会最終戦の1000mで初優勝を飾りました。
ソチオリンピック日本代表選考会では、1500mで3位に入り、オリンピック日本代表に初選出され、本番当日は、日本選手4選手中最高の22位となっています。
平昌オリンピックを迎えるシーズンでは、めまいや耳鳴りなどの体調不良に苦しみ、体調不良で欠場する試合が出るなど、代表選出に向けて心配されたが、5000mで優勝して、2大会連続での五輪出場となった。
平昌オリンピック本番では女子5000mに出場して、9位に終わり、惜しくも入賞を逃しました。
試合後のコメントでは「辞めなくて良かった。もうちょっと頑張りたい気持ちが強い」と、晴れやかな表情で話していました。
押切美沙紀の両親(父母)や兄弟の家族構成
押切美沙紀さんの家族構成は、父親・母親・妹・本人の4人家族です。
お父さんは「押切敏則」さんという方で、年齢が58歳です。
お母さんは、「押切春美」さんという方で、年齢は55歳になります。
ご両親についての詳しい情報はありませんでしたが、五輪スケート女子5000m出場の押切美沙紀さんとボブスレーW杯出場の押切麻李亜さん姉妹に対し、北海道中札内村からの表彰状が授与された様子です。
お母さんの晴美さんが、代理で受賞されたようですね。
押切美沙紀さんのご両親は、大会がある度に、可能な限り現地で応援しているそうです。
お父さんは、前回の平昌五輪に出場する際は、娘にプレッシャーをかけたくないということから、「自己ベストを出してくれればいい」と控えめにコメントしていました。
妹はボブスレーとラグビー選手?
押切美沙紀さんの妹は、「押切麻李亜」さんという方で、ボブスレーとラグビー選手として活躍されているようです。
前述の表彰もボブスレーW杯出場によるものです。
妹の押切麻李亜さんも、もとはスピードスケートの選手だったそうです。
中学時代は、スケートと陸上の二刀流だったようで、スケートでは押切美沙紀選手と一緒に表彰台に上がるほどの実力があったという。
そして、高校からは陸上に絞り日々練習していましたが、コーチにボブスレーを勧められ、ボブスレーと陸上の二刀流になったそうです。
ボブスレーでは、平昌五輪も目指すほどの実力でしたが、代表入りは逃しています。
その後は心機一転、ラグビーに転向したそうです。
妹の押切麻李亜さんも、何でもこなせる方なのですね!
でも姉妹仲や家族仲もよさそうで、明るい家庭が想像できますね。
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押切美沙紀の妹はラグビー選手まとめ
今回は、押切美沙紀選手の妹はラグビー選手って本当なのか、両親や兄弟の家族構成や出身高校なども調査しました。
押切美沙紀さんは、北海道中札内村生まれの29歳です。
スピードスケートの髙木菜那選手とは、小学校時代からお互いに切磋琢磨するライバル関係だったのですね。
駒澤大学附属苫小牧高校時代は、2年生の時にインターハイで優勝し、翌年のインターハイでは2冠を達成するなど、素晴らしい成績を残しています。
高校卒業後は富士急行に所属し、体調不良等にも苦しみましたが、練習の成果により、ソチ五輪、平昌五輪に続く3大会連続出場を決めています。
ご両親や妹さんの声援もあり、北京五輪ではぜひ頑張ってもらいたいですね!