スピードスケート男子の北京五輪代表・新濱立也選手は圧倒的なパワーで、メダル候補の最有力と言われていますね!
新濱選手のプロフィールや両親がどんな人かも気になりますね。
そこで今回は、新濱立也選手の高校や大学・家族構成、父親の職業なども見ていきたいと思います。
新濱立也のプロフィール
出身や身長は
名前:新濱立也(しんはま たつや)
生年月日:1996年7月11日
年齢:25歳
出身地:北海道別海町
身長:183cm
体重:89kg
趣味:釣り・サイクリング
好きなもの:お菓子(チョコ系)
新濱立也選手は、北海道別海町の出身で25歳です。
身長が183cmで体重が89kgですから、大きいですね~
パワーがあって、海外の選手とも引けを取らない体格ですね。
好きなものはチョコ系のお菓子ということで、ギャップも凄いですね!
新濱立也選手がスケートを始めた理由は、2つ年上の兄の影響があったそうです。
はじめたのは3歳のころで、最初は遊び感覚だったのですが、幼稚園の頃からスケートの大会へも出場するなど、小さい頃から片りんを見せていますね。
新濱選手は、小学校の時に「別海スケート少年団白鳥」に所属し、本格的に競技に取り組んでいます。
既にその頃は、大会に出場すると優勝するという天才少年で、次々と大会記録を更新していったそうです。
本当にスケートが好きで、どんどんのめり込んでいったそうで、ある時は転んでも優勝してしまうほど実力で、向かうところ敵なしだったそうです。
新濱立也選手の出身は、北海道別海町というところで、生乳生産量日本一の酪農王国を誇り、豊富な海産物資源の町で酪農と漁業が盛んのようです。
新濱選手の実家から練習場までは、25kmあるそうで、自転車で通うことで体を鍛えてきたという。
しかし、小学校の高学年になるにつれ、ライバルも努力をしてきたことから負けることが多くなり、6年生の頃には入賞もできなくなってしまったそうです。
そのようなことから新濱選手は、母親にスケートを辞めたいと話したそうですが、中3までは続けるように説得されたそうです。
その後新濱選手は気持ちを切り替え、自分自身を奮い立たせて、本気で練習に打ち込むようになったという。
小さい頃は向かうところ敵なしでしたが、ライバルの人も一生懸命練習したのでしょうね。
勝てなくなった頃は本当に苦しかったでしょう。
でも、母親のアドバイスで立ち直ったのですね!
新濱立也の学歴や出身校(中学・高校・大学)
中学時代は
新濱立也選手の出身中学校は、別海町立野付中学校です。
自然豊かなところであり、北海シマエビ漁や、ホタテや鮭の定置網漁など漁業が盛んな街です。
生徒の保護者の7割近くが漁業を営んでおり、漁協や水産加工業を合わせると80%以上が漁業関係に従事しているそうです。
そんな自然豊かなところで生まれ育った新濱選手は、中学3年生の時には、全国中学生スケート大会に出場し、6位に入賞しています。
お母さんに、中学3年までは続けるように言われていましたが、結果が伴ったことで嬉しかったでしょうね。
スケートの楽しさを再確認できたようで、高校でもさらに上を目指して頑張ることを決意したという。
高校時代は
新濱立也選手の出身高校は、北海道釧路商業高等学校です。
釧路商業高等学校は、北海道釧路市にある公立の共学校で、「国際ビジネス科」「流通経済科」「会計科」「情報処理科」などがあります。
同校出身の有名人には、スピードスケートのバンクーバー五輪代表・出島茂幸さんや、ソルトレークシティと長野五輪代表の白幡圭史さんなどがおります。
高校時代の新濱選手は、1・2年生の時にはなかなか勝てず、もどかしさもありましたが、さらなる努力を続けてきました。
そして努力の結果が実を結び、高校3年生の「全国高等学校スピードスケート選手権大会」では、500mと1000mの両方で優勝を決め、二冠王となりました。
さらに、JOCジュニアオリンピックカップの、「全日本ジュニアスピードスケート選手権大会」では、男子1000mに出場し、優勝しています。
努力が実を結ぶとともに、新濱立也選手の天性の力が覚醒したようですね!
大学時代は
新濱立也選手の出身大学は、高崎健康福祉大学です。
新濱選手に大学進学を進めてくれた人は、高崎健康福祉大学スケート部の入澤孝一監督で、高校時代の新濱選手のスケートの才能を見込んでいたそうです。
入澤孝一監督は、五輪の元日本代表コーチで、黒岩彰選手や黒岩敏幸選手を育てた監督です。
新濱立也選手は、スケートは大学までと決めていたそうですが、最後に世界を目指してみようと思い、大学3年生の時に2018年の平昌オリンピック選考会に出場しました。
結果は、代表から漏れましたが、自己ベストで4位の成績を残すことができました。
その後、「日本学生氷上競技選手権大会」で、2年生の時から3連覇をする活躍を見せ、その成績が評価されたことで、翌シーズンからナショナルチームに入ることができました。
その後の活躍は素晴らしく、特に2018-2019年のワールドカップ(ソルトレークシティ)の初日の500mでは、ロシアのパベル・クリズニコフ選手が持つ世界記録の33秒98を更新する、33秒88を出し世界記録保持者となりました。
しかし、その2分後に、2組後のパベル・クリズニコフ選手が33秒61をマークしたため、新濱選手の記録は一時的なものとなっています。
でも、世界記録を出すなんて凄いことですよね!
新濱立也の父親は漁師って本当?家族構成は
新濱立也選手の父親の職業は、漁師です。
前述したとおり、生徒の保護者の7割近くが漁業を営んでいるということで、新濱選手のお父さんも鮭やホタテなどの魚介類を主に収穫しているそうです。
漁師という、いわば男の職業で父親の背中を見て、新濱選手も育ったのですね。
当時の新濱選手の将来の目標は、漁業を営む父親の後を継ぐことだったそうです。
新鮮な海の幸と酪農も有名な町であることから、牛乳をたくさん飲んで新濱選手も大きくなったのでしょうね。
新濱選手が最も尊敬する人が「父親」だそうです。
新濱選手のISU(国際スケート連盟)のバイオグラフィーには、尊敬する人は「父」と書いてありますね。
新濱 親父は漁師をしていて、仕事上、朝がすごく早いんですよ。それでも、仕事から帰ってくるとケロッとしていて、中学校まではスケートの練習場まで連れて行ってくれていました。いまもすごく応援してくれていて、尊敬しています。
引用元:JSF
新濱立也の母親は
新濱選手がスケートを辞めなかったのは、母親のおかげです。
新濱選手は、小学生の頃からスピードスケートの天才少年と呼ばれ、連戦連勝で向うところ敵なしでしたが、ライバルに負け始めたことから「スケートを辞めたい」と、母親に話したところ、「中3まではやりなさい」と言われたそうです。
その後、奮起して素晴らしい活躍を見せています。
あの時、母親の一言が無ければ、今の新濱選手は無かったかもしれませんね!
新濱立也の兄弟は
新濱立也選手には、2歳違いの兄がいます。
記憶はないんですが、3歳から2歳上の兄について遊び感覚で滑っていたそうです。小学生のときに少年団に入って、競技としてスケートに取り組みはじめました。周りから他のスポーツも勧められたりしましたけど、遊びで陸上をやったくらいで、スケートが楽しかったので、ずっとスケートを選んでやっています。
引用元:JSF
兄の影響でスピードスケートを始めたようですね。
兄が所属していた「別海スケート少年団白鳥」に入団しています。
でもお兄さんは、その後スケートを辞め、普通に就職しているそうです。
新濱立也選手の家族構成は、父親・母親・兄・本人の4人家族ですね。
お兄さんが、新濱選手のスケートを始めるきっかけを作ってあげて、お父さんやお母さんは新濱選手のサポートや支援をされており、素晴らしい家族ですね!
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新濱立也の高校や大学・家族構成まとめ
今回は、新濱立也選手の高校や大学・家族構成、父親の職業なども見てきました。
新濱立也選手は、北海道別海町の生まれで25歳です。
北海道釧路商業高等学校から高崎健康福祉大学に進み、スピードスケートで自身の力を開花させていますね。
父親は漁師で、新濱立也選手が一番尊敬している人です。
父親や母親・兄のサポートや支援を受け、大きく成長した新濱立也選手!
北京五輪では、思う存分あばれて欲しいですね!