映画監督として人気のある園子温さんですが、実家や生い立ちなどが気になりますね。
映画監督になる前はどうだったのでしょうか。
そこで今回は、園子温さんの生い立ちや出身高校・大学と経歴、そして若い頃は漫画家志望だったのは本当なのか調査しました。
園子温の生い立ちは?
名前:園子温(その しおん)
生年月日:1961年12月18日
年齢:60歳
出身地:愛知県豊川市
職業:映画監督
園子温さんは、愛知県豊川市の出身で年齢は60歳です。
父親は、園音巳氏という方で、愛知大学の教授であり英語を教えていたそうです。
園子温さんは、とても厳格な家庭で育った反動で、17歳の時に実家を飛び出し、上京したとされていますが、高校は卒業しています。
高校時代の17歳の時に詩人としてデビューし、『ユリイカ』と『現代詩手帖』に詩が掲載されています。
園子温の出身高校・大学は?
愛知県豊川小学校から豊川東中学校を経て、豊橋東高校を卒業しています。
高校卒業後は、法政大学に進学しています。
園子温の若い頃は漫画家志望だった?
園子温さんは、映画監督として活動する前は、漫画家志望だったそうです。
法政大学入学後、20歳の時に『ガロ』に漫画の持ち込みを行ったそうですが、長井勝一氏から1996年に「まだ他人の気持ちがよく判らないんじゃないかな」とボツを喰らってしまいます。
その後は、リベンジのため本を読み漁ったそうで、映画を年間何百本と鑑賞したことがきっかけで8mm映画を撮り始めることに。
漫画家としてボツになったことから、相当悔しかったのでしょうね。
映画を年間何百本ということは、一日平均2本は見ていたのでしょうから、大変な努力家とも言えますね。
園子温の主な経歴は
- 8mm映画を撮り始めることになった園子温さんは、1987年に8mm映画『男の花道』でぴあフィルムフェスティバルのグランプリを受賞しています。
- 1990年には、16mm映画『自転車吐息』で、第41回ベルリン映画祭に正式招待されています。
- その後も映画制作を続ける中、街頭詩パフォーマンス「東京ガガガ」を主宰し、4000人のパフォーマーが渋谷のストリートで展開し、このドキュメントを収めたテレビ番組は、フランスで視聴率40パーセントを超えたという。
- 1994年:吉祥寺バウスシアター全館を貸し切り「園子温降臨祭」を開催
- 2000年:『うつしみ』を制作し、劇場公開します。
- 2001年:『自殺サークル』を公開
- 2002年:『HAZARD』という ニューヨークを舞台に不良青年の青春映画を制作
- 2006年:紀子の食卓を公開
- 2007年:テレビ朝日系ドラマ『時効警察』に監督として参加
- 2008年:『愛のむきだし』を公開
- 2011年:『冷たい熱帯魚』、『恋の罪』を公開
女優・神楽坂恵と結婚
2011年10月23日には、監督した映画『冷たい熱帯魚』『恋の罪』に出演した女優の神楽坂恵さんと婚約した旨が報じられました。
以降も、2012年に「ヒミズ」を公開し、古谷実氏の同名漫画を映画化で映画監督と脚本を担当しています。
園監督にとっては、初の漫画原作物の映画化担当だったそうです。
その後も、テレビ東京系ドラマ『みんな!エスパーだよ!』にて総合監督を務めるなど、次々と作品を手掛け人気映画監督として活躍することになります。
園子温が心筋梗塞で入院!
園子温さんは、2019年2月7日、心筋梗塞を発症し、病院に救急搬送され手術を受けています。
同年6月には、「Netflixオリジナル作品祭」に出席し、病後初めて公の場に姿を見せ、復活を果たしています。
園子温の生い立ちまとめ
今回は、園子温さんの生い立ちや出身高校・大学と経歴、そして若い頃は漫画家志望だったのは本当なのか調査しました。
園子温さんは、愛知県豊川市の出身で年齢は60歳。
愛知大学の教授を父に持ち、とても厳格な家庭で育った反動で、17歳の時に実家を飛びだしているようです。
高校時代の17歳の時に詩人としてデビューするなど、素質を開花させています。
漫画家志望だったようですが、持ち込み漫画がボツになったことから、映画鑑賞にのめり込み、映画の道へと進みます。
波乱万丈の生き方のようですね。